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笹幸恵
2024.3.26 19:09日々の出来事

民俗学の資料から。

民俗学に関する行政のお仕事を地道にやっている。
学生時代、ちょっとかじってみたかったのが
考古学と民俗学なので、関われること自体が嬉しい。
しかし資料を読んでたまげたわ〜。
大正から昭和20年代くらいまでの農村部の暮らしを
見ていると、もはや現代では失われた風習がたくさんある。
同じ国か?と思うくらいだ。

たとえば食事。
昭和10年代頃まで、各自のお膳があった。
ちゃぶ台すら、当時にとっては未来の家具だ。
餅つきも何かと記念日には行っていて、
どの家にも臼と杵があった。
うどんもこねるところから始めていた。

農村だから、米の収穫時期は忙しい。
近所の人どうしが助っ人に行ったり来たり。
パジャマはない。女性は夏は浴衣、冬は着物にネルの腰巻き。
養蚕農家はお蚕さまが最優先で、人間は部屋の外で寝起き。

現代では、集合住宅の隣の家とさえ
醤油の貸し借りをしなくなった。
経験したこともないくせに、勝手に昔ながらの暮らしに
ノスタルジーを感じてしまう。

が、到底納得できないこともある。
たとえばある地域では、
嫁入りの年に繭が十分にできないと、
来た嫁のせいにされてしまうのだとか。
なんでだッ。

もっと古い時代には、着物一式(普段着ばかりか
冠婚葬祭用の着物まで)を縫えないと
「女じゃない」と姑から言われることがあったらしい。
私はけっこう裁縫が好きなので
手縫いやミシンでいろいろなものを作ったりするけど、
それが「女であることの必須条件」になったら
途端に裁縫が嫌いになりそうだ。

しかしなあ、いまどきアップサイクルとかいって、
古いものを新しく価値あるものに生まれ変わらせる
リサイクル方法が注目されているけど、
一昔前の人は皆、そうやって生活していた。
そういえば祖母は、着物をほどいて半纏(綿入れ)を
小さいときに作ってくれていたな。

資料を見ていると、現代人の我々は何か急速に
いろいろなものを失っている気がしてならない。
杵も臼も、ここ十数年、目にしていない。
とはいえ、その時代に戻れるわけでもなければ、
今の私たちがその生活に耐えられるわけでもない。
ただ、近代化と引き換えに、便利さを手に入れた代わりに、
私たちはうどんをこねることも、饅頭を作ることも、
針仕事をすることもなくなった。
それは本当に豊かなのかということは、
自分の心に問い続けていきたい。
笹幸恵

昭和49年、神奈川県生まれ。ジャーナリスト。大妻女子大学短期大学部卒業後、出版社の編集記者を経て、平成13年にフリーとなる。国内外の戦争遺跡巡りや、戦場となった地への慰霊巡拝などを続け、大東亜戦争をテーマにした記事や書籍を発表。現在は、戦友会である「全国ソロモン会」常任理事を務める。戦争経験者の講演会を中心とする近現代史研究会(PandA会)主宰。大妻女子大学非常勤講師。國學院大學大学院文学研究科博士前期課程修了(歴史学修士)。著書に『女ひとり玉砕の島を行く』(文藝春秋)、『「白紙召集」で散る-軍属たちのガダルカナル戦記』(新潮社)、『「日本男児」という生き方』(草思社)、『沖縄戦 二十四歳の大隊長』(学研パブリッシング)など。

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